めいげんCOMPANY

普段味気のある話題を見聞きしない名言マニアの管理人が、巷で話題なトピックから<刺さる言葉>を発掘していきますよ。

国政に乙武洋匡「生まれつき、恵まれない人も活躍できる社会を目指したい」

乙武洋匡さんが国政に自民で出るとニュースになりました

前々から国政に意欲があるのではないかと言われていた乙武さん。自民党の要請に応じて、出馬する意向があると報じられました。

出版物もそうですが、テレビやツイッターなどのメディアで、乙武さんは情報発信をジャンジャンされていますね。そんな乙武さんのコメントは常にユニークで時に鋭く、話題を呼ぶことがあります。

 

乙武さんは自身の『五体不満足』な障害をちょっとした短所と捉えたノリで、自虐ネタをいうことがあります。

 

障害を持つ方々をブラックユーモアで表現するという人は多くありません。

そしてそういった発言を「聞き手がどのように受け止めるか」の温度感はひとにより大きく変わります。

私は急激に太ってしまったときにズボンの留め具になっていたボタンを、座ったと同時に「ばちーん!」とふっ飛ばしたことがありまして、ときに自分のデブネタを自虐して話すことがあります。

明るい自虐ネタは、卑屈になって隠すより、親近感もわくし面白いと感じる人が多いですね。自虐ネタはお笑い芸人さんの一番の武器になったりしますからね。

 

ただ、マイノリティーゆえに、「障害を笑う」ということに抵抗がある人も少なくはないです。

けれども、乙武さんは自分の信条を譲りません。

 

そしてその姿を素晴らしいと受け止める人は沢山います。

私も乙武さんの「障害」への向き合い方には賛成です。

 

生まれ持った自分のありのままを、そのまま受け止める。それが自分。ネガティブに捉える必要はない、けれど強がる必要もない。

そんな彼の強さがわかる言葉をシェアしますね。

 

乙武さんの障害との向き合い方がわかる言葉

「障害は不便です。しかし、不幸ではありません。」

乙武洋匡

まったく、その通りだと思います。

幸、不幸は、事実どうこうで左右されるものではありません。事実を受けた解釈です。

解釈は、私たち自身の捉え方次第で決まります。

私たちが「幸せだ」と言えば幸せだし、「不幸だ」と言えば不幸なのです。

 

乙武さんは、自分の障害を強がって見せて「不幸でない」と言っているわけではありません。障害は不便だといっています。

実際、想像したらやはり私も不便であろうと思います。わたしたちの今の社会は基本的にアベレージ主義であり大多数主義だからです。そしてできるだけ多くの人にとって暮らしやすい有益な社会をつくっています。

たとえば目が見える人の方が圧倒的多数なので視覚に頼ったツールが発達しています。テレビもそう、信号などの標識もそう、本もそうです。しかし目が見えない人はいます。そういった方にはやはり本やテレビは便利なものといえません。不便というのはそういう類のものなのです。

もし、本が読めなければ不幸ですか?ある人は不幸だと嘆くかもしれません。でもある人は本嫌いなので、本が読めないことをちっとも気にしないかもしれません。

障害を持って生まれたということは事実ではあるが、その事実をどのように解釈するかは当人の受け止め方次第です。これはまったく、その通りなのです。

 

あなたは不幸ですか?もし不幸だとしたらそれはなぜですか?

何かの事実があなたを不幸にしていますか?それとも何かの事実を不幸だとあなたが認識しているから不幸なのでしょうか?

 

私たちは、私たち自身の人生を「幸せ」にも「不幸」にもする力を持っています。

そして、まずは人生の幸不幸を自分が決めているということを自覚しましょう。

足りないことを探すのか、満たされていることに感謝するのか。

私たちの「考え方」が源になります。