めいげんCOMPANY

普段味気のある話題を見聞きしない名言マニアの管理人が、巷で話題なトピックから<刺さる言葉>を発掘していきますよ。

マジですか?乙武洋匡さんの不倫でショックを受けてます。

 乙武さん不倫で世間を賑わす

個人的にショックです。

前に乙武さんの記事も書きまして、乙武さんが政治の世界で活躍してくださるのを期待してたのですが、週刊誌に不倫をすっぱ抜かれてしまいましたね。 

あげく、ツイッターの裏アカウントで不倫相手の写真がどんどん流出しているようです。乙武さん、何やってるんだよ。と残念な気持ちになります。

乙武さんは3月24日付で報道について謝罪文を奥さんのコメントと一緒に出していますね。

 

『週刊新潮』の報道について - 乙武洋匡

奥さんがこのコメントの中で、「私も深く反省しております。誠に申し訳ございませんでした。」と書かれているのが印象的です

 

奥さんは、乙武さんと一心同体なのですね。奥さんは不倫もされて一緒に責任もとって大変ですね…。ただ、奥さんが書面で一緒にコメントをされて乙武さんを許す旨を宣言して謝罪されるとなると、「奥さんがかわいそうだ」という論調を振りかざすことは難しくなりますね。

だって夫婦で解決されてる(と世間に発表した)んだもの…。

 

乙武さんは障害を持つ人として、人からどうしても「区別される」存在であったと思います。良い意味でも悪い意味でも「特別扱い」です。

乙武さんの嫌がるところでいうと「可哀想」扱いですね。でも、「可哀想」だという下地の上で乙武さんに対しては無条件に「頑張っている」「エライ」「応援したい」という指示もあったと思います。

だからこそ、心がざわつくニュースではないでしょうか。

 

今年大きな不倫騒動は多く報道されてますが、乙武さんの不倫騒動というのは、他の不倫騒動よりも「ショック」の大きいニュースであるように感じます。

 

「腹立たしい」というよりも、「悲しい」気持ちになる不倫騒動です。

 

ざんねん。

 

 

最後に、気を取り直して名言で締めましょう。

 

人間に挫折や失敗はつきものである。問題は、そこから教訓と成功の糧を引き出せるか否かである。

ナポレオン・ヒル

 

不倫を乙武さん個人として、または準公人という立場から失敗だと反省するなら、もうそんな失敗は繰り返さずに乙武さんには乙武さんの素晴らしい部分を使って、社会で活躍していただきたいと思います。

 

期待を込めて。

 

橋下徹に学ぶアドラーの心理学

橋下徹氏、羽鳥アナウンサーと新番組を始めるそうです

その名も「橋下×羽鳥の新番組始めます!」だそうです。

橋下さん、政治の世界にもう少しこだわるのかな、と思っていたのですが、芸能界帰ってきましたね。8年間人生をかけて政治活動をされてきたのですが、本当にすべてをかけて政治活動をされきったのだな、と改めて感じます。

橋下さんの政治については、好き嫌い、応援したしなかった等あると思いますが、彼が大阪の政治に世論の関心をより集めたという功績は疑いようがないですね。

 

今回は橋下徹氏の言葉から、彼の考え方を学びたいと思います。

嫌われることを恐れていたら、改革はできない。

橋下徹

私たちは地球上の全員に好かれることはできるでしょうか。

とても難しいでしょう。

 

逆に、全員に嫌われることはできるでしょうか。

これもまた難しいでしょう。

 

全員に好かれたいと思い、努力をして大勢の人に好かれたとしても、中には、人に好かれている人が嫌いだという人がいます。そして全員に嫌われるような、例えば悲惨な殺人事件を起こし、世間から疎まれるようになったとしても、その受刑者のファンクラブができることも珍しくないことなのです。

 

「誰にも嫌われもしない」ということが、もし達成できたとしたら、それは同時に誰からも好かれていない、もっというと「誰にも知られていない」という状態かもしれません。

でもそんな生き方はまず送れないですよね。

 

つまり、どんな風に生きたとしても、好かれることも嫌われることも、どちらもあるということです。自分を好きでいてくれる人も、嫌いな人もどちらもいるということです。

これは原則です。

 

何か大きなことを成し遂げようとすると嫌われる可能性があります。しかし何もしなくても嫌われる可能性はあるのです。

 

であるからこそ、「好かれよう」、「嫌われないようにしよう」ということはいったん横においておくべきではないでしょうか。

何よりも大切なことは自分らしく生きることです。

 

一目を気にせず、自分の心に従って志を見せた橋下徹氏のように、人生を使っていきたいと思います。

 

アドラーの心理学をちょっと絡めて

題名に橋下徹に学ぶ、アドラーの心理学と書いたにも関わらず、締めるところでした。

^^;

 

橋下徹氏の言葉「嫌われることを恐れていたら、改革はできない。」は、最近流行ったアドラー心理学についての自己啓発書である「嫌われる勇気」を彷彿させます。

 

誰かの期待を満たすために人生を使うな、という考え方は、まさに橋下さんのおっしゃるところと同じだと思います。

 

心理学者アルフレッド・アドラーの言葉で締めたいと思います。

 

人生が困難なのではない。あなたが人生を困難にしているのだ。人生はきわめてシンプルである。

 

重要なことは人が何を持って生まれたかではなく、与えられたものをどう使いこなすかである。

 

苦しみから抜け出す方法はたった1つ。他の人を喜ばせることだ。「自分に何ができるか」を考え、それを実行すればよい。

 

「やる気がなくなった」のではない。「やる気をなくす」という決断を自分でしただけだ。「変われない」のではない。「変わらない」という決断を自分でしているだけだ。

 

「すべての悩みは対人関係の課題である。
仙人のような世捨て人でさえも、実は他人の目を気にしているのだ」

 

こんな言葉を心に留めて生活をしたら何かが変わるかもしれないですね。

エグザイルTAKAHIROと武井咲が熱愛?人気芸能人は恋愛まで監視されて大変だと思う

武井咲さんのこんなニュース

なんだか、芸能人って大変ですね。

武井咲さんがTAKAHIROさんのマンションに出入りしている所(?)を写真に撮られています。

芸能人は金額面や高い認知度での社会的地位としては良い面もたくさんある仕事なんだと思いますが、こう恋愛ひとつでも周りが放っておいてくれないと、なかなか大変ですね。

この報道が嘘か本当か、それとも何か思惑があっての行動なのかはわかりませんが、ひとつ感じることは、メンタル強いなぁってことです。この記事でいえば武井さん精神力すごいなと感じます。

 

芸能人だけじゃないですが、有名になってプライベートが無くなるってことは、高ストレスな状況だと思いますよ。今はネットも発達しているので、情報拡散が早いですしね。一挙手一投足を意識しながら暮らすなんて、気の休まるところがないんじゃないでしょうか。

 

そんなニュースで報道された渦中の武井咲さんの言葉を掘り下げてみました。

 

武井咲さんのいい言葉

「“普通”でいることです。」

武井咲

私たちの本質の部分は、普通でいる時に出ます。

普通とは、メッキを貼っていない自然体である状態のことです。

 

自然体である時、私たちはありのままに感じ、ありのままに表現できます。インプットとアウトプットが呼吸をするようにとてもスムーズです。

 

自然体でいる時の体験は、自身のベースを磨いてくれます。

価値観を大事にできます。

もちろんがんばったり努力することも大事なことです。

しかしそれらの基盤となる核の部分は、私たちが素の状態でいる時に感じるものだと思います。

 

素の自分でいましょう。

意外と素の自分でいるって難しいですよね。

会社の中での自分、恋人といる自分、家族といる自分、多少無理している人が多いかと思います。

 

自然体で生きると、もっともっと楽に強く生きていけると思うのです。

 

ドラマで活躍している深キョンって、ダメと言われて伸びる子だった?

今季ドラマで度々話題にのぼった深田恭子さん

いつまでも可愛い人ですね。深田恭子さん。

今シーズンもドラマ「ダメな私に恋してください」 でよくニュースになっていました。

そんなドラマもツイッターで惜しまれる声もあがりつつ、3月15日に最終回を迎えたようです。

深田恭子さんってすごいですね。ドラマでもう18年くらい活躍してますよね。

初ドラマ「神様、もう少しだけ」はまだ深キョンさんが高校生くらいだったと思います。金城武とW主演で当時、ものすごい話題になりましたね。

その時から彼女を女優さんとしてみてますが、人気が落ちないですね…。

当時主演で活躍されている女優さんで、今も最前線でドラマに出続けている人って深田さん以外あまりいないのではないでしょうか…?

 

彼女のルックスも勿論、魅力的なのですが、彼女がブームを起こし続ける秘密に迫ってみたいと思います。

 

深田さんはダメと言われて伸びる子?

「“すごくいいよ!”よりも“そうじゃない”と言われたほうが、気づきがある。そこで自分が思いもしなかった、新たな考え方が生まれたりするので。」

深田恭子

可愛らしいルックスとは反するようになんて反骨精神溢れる方なんでしょうね。深田恭子さん。

素晴らしいと思います。


私たちは成長しようとする時、きっかけが大事です。

たとえば、ストレスなどの刺激、苦言を呈されるような指摘などが、きっかけになります。

 

新しい気付きを得るためには、普段の自分とは違う切り口が有効です。その際、他の人の意見が、自分の成長を促進させることに効果的であることが多いです。

 

もともと自身の中にないものであればあるほど、拒絶反応が起こるかもしれません。

たとえば、あがり症だと意識しているのに、「ちゃんと人前で喋れるように練習しろよ」なんて先輩に言われたら、その先輩を大嫌いになるかもしれないですね。^^;

 

しかしそんな時ほどチャンスです。

 

「?」「!」、「⁉︎」等、普段とは違う考え方に触れた時、その違和感を大事にしてみてください

そこから何か自分を成長させる気付きを見出せるかもしれません。自分自身の考え方への学びがあるかもしれません。

 

そう考えると否定的な指摘さえ感謝し、自己成長していけるのではないでしょうか。

マツコ喜ぶ!「でかい私にビックな賞、うれしいわ」 と、コメントが秀逸★

マツコ・デラックス、科学分野でも大活躍【マツコロイド先端科学技術賞を受賞】

マツコロイド、ご存じですか?

ご存じの方も多いと思いますが、「マツコロイド」とは、ピリ辛毒舌でお茶の間に大人気のタレント マツコ・デラックスさんの双子と見間違えるほどそっくりで精巧なアンドロイドのことです。 

「マツコとマツコ」というタイトルで土曜日の夜から、世界初のアンドロイドと共演するバラエティー番組がありまして、残念なことに番組自体はすでに最終回をむかえておりますが、その番組企画でマツコロイドが誕生しました。

マツコさんは潜在視聴率がダウンタウン有吉弘行氏をおさえてトップだと一部週刊誌でも噂されるほどの売れっ子タレントです。なので視聴率が低迷しての番組打ち切りではないようですが製作費がかさみ過ぎたのでしょうかね?

ちなみにこの番組はhuluという動画配信サービス上で見れるのですが(2016年3月現在)、最初視聴したときは度肝を抜かれました。^^;

画面いっぱいに広がるマツコ×2。エヅラがなんだか異様で目をひきます。さらにマツコロイドが最新の技術を使ったアンドロイドだなんて、ちょっとワクワクしますよね。

下は公式サイトです。マツコさんとマツコロイドのツーショットが見れます。

そんなマツコロイド、「先端科学技術賞」を受賞しました。素晴らしいデジタルコンテンツを表彰する賞なのですが、そのマツコさんのコメントが秀逸です。

 

マツコさんの秀逸コメントとは?

「でかい私にビッグな賞。うれしいわ。」

マツコ・デラックス

このコメントは素晴らしいだと感嘆しました。

それからユニークで、思わず声が漏れるほど笑ってしまいました。

 

よくマツコさんは謙遜して自己表現しますよね。毒舌キャラでありながら、自分にも猛烈に毒を吐くところが好感度の高さの秘訣だと感じます。

 

そして、この「でかい私」と「ビッグな賞」の単語を並べるのが、なんといっても秀逸です。

「マツコさんのチャーミングな自虐」(でかい私)と「賞への賛辞」(ビッグな賞)を並べることで、その意味のギャップと共通性を楽しめる大喜利のようなコメントだと感じました。マツコさんは頭の回転のはやい人ですね。

またこの「でかい私」というのは卑屈な自虐言葉ではありません。「謙遜」と「ビッグマウス」がまじった意味で使われているのです。

謙遜しながらもビッグマウス、マツコさんの言葉の説得力は、こういった言葉の選び方にあるように感じます。

 

言葉選びは大切です。その言葉は私たちの思考をつくりあげるからです。日々、使う言葉の中で私たちはセルフイメージを固めていきます。

自分をどのように表現してますか?

その発言がそのままセルフイメージとなるのです。

 

そしてセルフイメージは、とても大事です。

私たちは意識的せよ、無意識的にせよ、セルフイメージに近づけようと生きます。

そして、注目してほしいポイントはセルフイメージとは、事実である必要はなく、私たちが “勝手に” つけたラベルに過ぎないということです。

 

「でかい私」とマツコさんが表現しましたが、まったくもってマツコさんは「でかい私」のイメージそのものだと感じませんか?

「肥満な私」というほど身体にコンプレックスを持った表現でなく、「ビッグな私」というほど うぬぼれた表現でない。

「でかい私」と聞いてどんなイメージを持ちますか?

私は、「寛大」「存在感がある」「影響力がある」どこか自虐的に「幅をとる」「体積が大きい」というイメージを持ちます。しかし自虐でも卑屈にきこえるかというと全く卑屈に聞こえません。どちらかというと清々しいほど「あけっぴろげ」で「大胆」「ポジティブ」な言葉にきこえます。

 

「でかい私」、この表現まさにマツコさんそのものじゃないでしょうか?

 

といったように、自分をどう表現するかによってセルフイメージが変わります。

どうせ自分のラベルを貼るならば、ポジティブなものが良いと思います。これまで付けてきたせイメージもより良いものにアップデートすることが可能です。

勘違いや思い込みでもいいので、自分を表現する良い言葉を繰り返してみてください。やがてセルフイメージが 上書き更新されていきます。

 

より良いセルフイメージをつくることで、素敵な人生を過ごしたいものですね。

国政に乙武洋匡「生まれつき、恵まれない人も活躍できる社会を目指したい」

乙武洋匡さんが国政に自民で出るとニュースになりました

前々から国政に意欲があるのではないかと言われていた乙武さん。自民党の要請に応じて、出馬する意向があると報じられました。

出版物もそうですが、テレビやツイッターなどのメディアで、乙武さんは情報発信をジャンジャンされていますね。そんな乙武さんのコメントは常にユニークで時に鋭く、話題を呼ぶことがあります。

 

乙武さんは自身の『五体不満足』な障害をちょっとした短所と捉えたノリで、自虐ネタをいうことがあります。

 

障害を持つ方々をブラックユーモアで表現するという人は多くありません。

そしてそういった発言を「聞き手がどのように受け止めるか」の温度感はひとにより大きく変わります。

私は急激に太ってしまったときにズボンの留め具になっていたボタンを、座ったと同時に「ばちーん!」とふっ飛ばしたことがありまして、ときに自分のデブネタを自虐して話すことがあります。

明るい自虐ネタは、卑屈になって隠すより、親近感もわくし面白いと感じる人が多いですね。自虐ネタはお笑い芸人さんの一番の武器になったりしますからね。

 

ただ、マイノリティーゆえに、「障害を笑う」ということに抵抗がある人も少なくはないです。

けれども、乙武さんは自分の信条を譲りません。

 

そしてその姿を素晴らしいと受け止める人は沢山います。

私も乙武さんの「障害」への向き合い方には賛成です。

 

生まれ持った自分のありのままを、そのまま受け止める。それが自分。ネガティブに捉える必要はない、けれど強がる必要もない。

そんな彼の強さがわかる言葉をシェアしますね。

 

乙武さんの障害との向き合い方がわかる言葉

「障害は不便です。しかし、不幸ではありません。」

乙武洋匡

まったく、その通りだと思います。

幸、不幸は、事実どうこうで左右されるものではありません。事実を受けた解釈です。

解釈は、私たち自身の捉え方次第で決まります。

私たちが「幸せだ」と言えば幸せだし、「不幸だ」と言えば不幸なのです。

 

乙武さんは、自分の障害を強がって見せて「不幸でない」と言っているわけではありません。障害は不便だといっています。

実際、想像したらやはり私も不便であろうと思います。わたしたちの今の社会は基本的にアベレージ主義であり大多数主義だからです。そしてできるだけ多くの人にとって暮らしやすい有益な社会をつくっています。

たとえば目が見える人の方が圧倒的多数なので視覚に頼ったツールが発達しています。テレビもそう、信号などの標識もそう、本もそうです。しかし目が見えない人はいます。そういった方にはやはり本やテレビは便利なものといえません。不便というのはそういう類のものなのです。

もし、本が読めなければ不幸ですか?ある人は不幸だと嘆くかもしれません。でもある人は本嫌いなので、本が読めないことをちっとも気にしないかもしれません。

障害を持って生まれたということは事実ではあるが、その事実をどのように解釈するかは当人の受け止め方次第です。これはまったく、その通りなのです。

 

あなたは不幸ですか?もし不幸だとしたらそれはなぜですか?

何かの事実があなたを不幸にしていますか?それとも何かの事実を不幸だとあなたが認識しているから不幸なのでしょうか?

 

私たちは、私たち自身の人生を「幸せ」にも「不幸」にもする力を持っています。

そして、まずは人生の幸不幸を自分が決めているということを自覚しましょう。

足りないことを探すのか、満たされていることに感謝するのか。

私たちの「考え方」が源になります。

月9で話題の有村架純。一瞬の息抜きでプレッシャーを撥ね付けている?

有村架純(ありむらかすみ)月9ワースト視聴率?

月9ドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』に主演している有村架純さんが話題になっていますね。彼女の初主演ドラマなので、だいぶ力を入れていると思いますが、視聴率がふるっていないようです。

 

人気女優さんも大変ですね。

視聴率っていう数字がドンと明確に出てしまいますからね。結果がはっきりわかる仕事というのは、わかりやすい反面、ごまかしようがないのでその分プレッシャーが大きくなると思います。

 

 有村架純のプレッシャーに負けない時間の活用方法

「どんな“ちょっと”の時間でも無駄ではなくて、そこでふと息を抜ける瞬間があるなら、それは自分にとってはすごく重要な1分だったりする。」

有村架純


ただ1分の時間でも、いかに価値あるものに変えるかが大事です。

そのために、自発的に「時間は有益である」と捉えていくことが必要です。

 

私たちは何もしないことができます。

だからこそ自ら「動く」ことを選択していかないと、何も起きないのです。

 

時間の使い方は、大きくは3つに分けることができます。

浪費、消費、投資です。

そしてこれらは、すべてわたしたちの捉え方、つまり解釈なのです。

私たちの認識ひとつで、変えることができます。

 

時間は有限です。価値のある使い方をしましょう。

しかしわたしたちは人間でありパーフェクトヒューマンでないので、たまにサボったりしょうもないことに時間を使うこともあるでしょう。そういうときは解釈を変えましょう。

二度寝という、「時間の浪費」でなく、二度寝 = 体力の回復という、「時間の投資」のように。^^

 

価値のある時間を積み上げて、価値のある人生を味わっていきたいものです。